江戸時代

【江戸の都市伝説?】謎と恐怖に満ちた「本所七不思議」とは

江戸時代の面影が色濃く残る風情ある「下町」は、近年、国内外の観光客に人気のエリアとなっています。

NHK大河ドラマ『べらぼう』の影響で“大河ドラマ館”も設けられ、蔦屋重三郎ゆかりの地を訪れる人の姿も見られます。

ただし、「下町」という言葉には明確な定義があるわけではありません。

一般的には足立区・葛飾区・荒川区・台東区・墨田区・江東区・江戸川区の7区、あるいは秋葉原・上野・浅草・柴又など、隅田川沿いの地域を指すことが多いようです。

こうした「江戸時代の町人や職人が暮らしていた地域」には、昔から語り継がれてきた怪談や奇談が今も残っています。

その代表格が「本所七不思議」です。

いわば江戸時代の「都市伝説」とも言えるこれらの怪談は、落語や映画の題材としても取り上げられ、今なお人々の想像力を刺激し続けています。

本所七不思議とは、名のとおり本所(現在の東京都墨田区)界隈に伝わる怪異の数々を指します。

ここでは代表的な話をいくつかご紹介します。

① 釣った魚を置いていけ〜「置行堀」

画像 : 『本所七不思議之内 置行堀』三代目 歌川国輝・画 public domain

置行堀(おいてけぼり/おいてきぼり)」は、落語の題材にもなっている有名な話です。

江戸時代、本所界隈は水路の多い場所だったので、町人たちはよく魚釣りを楽しんでいました。

ある夕暮れ時、釣り人がたくさんの魚が釣れてホクホクしながら家に帰ろうとしたところ、「おいてけ……おいてけ……」と、どこからともなく、不気味な声が聞こえてきたそう。

辺りを見回しても、まったく人の気配はなし。
釣り人は、ぞっとして背筋が寒くなり一目散に家へと逃げ帰りました。

そして、魚籠(ビク)を開けてみると、あれほど釣れたはずの魚が一匹も残っていなかったのです。

この話にはさまざまなバリエーションがあり、「魚籠を持ち帰ろうとした者が、水中から伸びた手に引きずり込まれて命を落とした」「声を無視して帰ったら、その夜、金縛りに遭った」などの展開も語られています。

画像 : 東京都墨田区江東橋の錦糸堀公園の「かっぱ像」wiki c 逃亡者

怪異の正体についても諸説あり、「ムジナ(タヌキ)」「カッパ」「魚を狙った人間の仕業だったのでは」など、多くの憶測が残されています。

※推定地:錦糸堀(現在の北斎通りのうち、錦糸一丁目から三丁目)や、御竹蔵周辺の堀(横網一丁目及び二丁目)など

② 絶対に追いつくことはできない「送提灯」

画像 : 『本所七不思議之内 送提灯』(送り提灯)三代国輝・画 public domain

送り提灯(おくりちょうちん)」は、夜、提灯を持たずに暗い夜道を歩いていると、提灯のように揺れる灯がまるで送ってくれるかのように、目の前に現れるという怪異です。

「いったい、何者だろう?」と、正体を突き止めようと灯を追いかけていくと、ふっと灯りは消えてしまいます。

不思議に思っていると、また灯りが現れ、また追いかけると消えてしまう……この繰り返しで、いつまでも提灯には追いつけないという話です。

※推定地:大横川近く、法恩寺出村(太平一丁目)

また、向島(現・東京都墨田区向島)でも「送り提灯火」と呼ばれる怪異の伝承があります。

ある人物が提灯を持たずに夜道を歩いていると、どこからともなく灯火が現れ、足元を照らしてくれたものの、周囲に人影はなく、灯りだけがともっていたといいます。

この不思議な灯火を牛嶋神社(現・墨田区)の加護と感じたその人物は、感謝の気持ちとして提灯を奉納したと伝えられています。

また、提灯ではなく「送り拍子木(おくりひょうしぎ)」という話もあります。

画像 : 『本所七不思議之内 送撃柝』(送り拍子木)三代国輝・画 public domain

拍子木を打ちながら「火の用心」と唱えていると、すでに打ち終えたはずなのに、同じ調子の拍子木の音が背後から聞こえてくる。

振り返っても、そこには誰の姿も見えない。そんな話が伝えられています。

※推定地:南割下水(現在の北斎通りのうち、亀沢一丁目から四丁目)と入江町(緑四丁目)

③ 誰もいない蕎麦や「燈なし蕎麦」

画像 : 『本所七不思議之内 無灯蕎麦』(燈無蕎麦) 三代目 歌川国輝・画 public domain

燈なし蕎麦(あかりなしそば)」は、いつ行っても誰もいない蕎麦屋の話です。

本所南割下水付近では、夜になると二八蕎麦の屋台が並びました。

しかしその中の一軒だけは、いくら待っても店主が姿を見せず、屋台の行灯も消えたまま。
おせっかいでその行灯に火をつけると、家に戻ってから必ず不幸なことが起こるという逸話です。

また、誰も油を注いでいないのに一晩中消えない「消えずの行灯」の屋台があり、立ち寄った者に災いが降りかかるという話も残っています。

※推定地:南割下水(現在の北斎通りのうち、亀沢一丁目から二丁目)

④ 天井から突然大きな足が出てくる「足洗邸」

画像 : 『本所七不思議之内 足洗邸』 三代目 歌川国輝・画 public domain

江戸時代の本所三笠町(現・墨田区亀沢)に所在した、味野岌之助という旗本の上屋敷でのこと。

屋敷では毎晩、天井裏からものすごい音と共に、「足を洗え」という声が響き、同時に天井をバリバリと突き破って剛毛に覆われた巨大な足が降りてきたとか。

仕方なく、家人がその足を洗ってやると、足は静かに天井へと戻っていきますが、無視すると怒って屋敷中の天井を踏み抜いて暴れまわったそうです。

困り果てた味野が同僚に相談したところ、その屋敷に興味を持った同僚が住まいを交換してくれました。
ところが、屋敷を移った途端、足はぱったりと姿を見せなくなったと伝えられています。

これに似た話として、「瀕死の重症を負ったたぬきを助けたら、そのたぬきがお礼に、家に凶事が起こる前触れとして巨大な足を天井から突き出して知らせた」、「足を洗ってあげたら倉庫に忍び込んだ泥棒を踏みつけてくれた」などもあります。

この怪異は明治時代の前期まで語り継がれ、「やまと新聞」の記事にもなったそうです。

※推定地:本所三笠町(亀沢四丁目)

⑤ 身勝手な男の残虐な犯行「片葉の葦」

画像 : 『本所七不思議之内 片葉の芦』(片葉の葦)三代目 歌川国輝・画 public domain

片葉の葦(かたはのあし)」は、現代のストーカー殺人のような身勝手な男の話です。

江戸時代、本所に住んでいたお駒という娘に執拗に言い寄っていた男・留蔵は、何度拒まれても諦めず、ついには逆上してしまいます。

ある日、お駒の外出先を追いかけ、隅田川からの入り堀にかかる駒止橋付近(現在の両国橋付近の脇堀にあった橋)で彼女を襲い、片手片足を切り落としたうえで堀に投げ込むという凶行に及んでしまったのです。

それ以来、駒止橋の周辺に生える葦は、なぜか片方だけの葉しか付けなくなった、という話です。

あまりに理不尽な結末に、果たして留蔵には何らかの報いがあったのかどうか、気になるところです。

※推定地:片葉堀・駒留橋(両国一丁目あたり)

⑥ なぜか葉が一枚も落ちない「落ち葉なき椎」

画像 : 「落葉なき椎」東京都墨田区横網。新田藩松浦家の上屋敷があったとされる場所。現在では伝承を示した看板が立てられている。wikic 逃亡者

本所にあった平戸新田藩松浦家の上屋敷には、見事な椎の木が一本立っていました。

ところがこの木は、「一枚も葉を落としたことがない」とされ、不気味に思った松浦家はついに屋敷を手放してしまったといわれています。

現在、その屋敷跡とされる墨田区横網の一角には、この伝承を紹介する案内板が設置されています。

⑦ どこからもなく聞こえてくる「たぬき囃子」

画像 : 『本所七不思議之内 狸囃子』三代国輝・画 public domain

本所の町では、夜道を歩いていると、どこからともなく囃子(はやし)の音が聞こえてくることがありました。

その音を辿ろうとしても、近づくほどに遠ざかってしまい、音の主に出会えることはありません。
夢中で追い続けた末、気がつくと夜が明けており、見知らぬ橋の上に立っているのです。

この怪異に遭遇したとされる平戸藩主・松浦清は、家臣に命じて音の出どころを調べさせました。
しかし、音は割下水付近で途絶え、結局その正体はつかめなかったそうです。

この話は本所だけではなく各地にあります。

近隣の農村地帯で「秋祭りの囃子の稽古などをしている音が重なって聞こえてきた」「柳橋付近の三味線や太鼓の音が風に乗って聞こえてきた」などの逸話もあります。

⑧ なぜか太鼓だった「津軽の太鼓」

本所にあった弘前藩津軽越中守の屋敷には、火の見櫓が設けられていました。

通常であれば火災を知らせるために「板木(ばんぎ)」が打たれるはずですが、この櫓ではなぜか太鼓だったとか。

なぜ太鼓だったのかは、誰にもわかっていません。
また一説には、板木を打ってもなぜか太鼓の音が響くと語られており、明確な理由は伝わっていないようです。

特に怪異めいた描写があるわけではないため、この話は七不思議に数えられないこともありますが、静かな違和感が今も語り継がれています。

※推定地:津軽家上屋敷(亀沢二丁目及び緑二丁目)

最後に……

画像 : 大横川親水公園 wiki c Guilhem Vellut

ここまで、「本所七不思議」と呼ばれる話の数々をご紹介してきました。

これ以外にもさまざまなバリエーションがあり、本所だけでなく全国各地に似たような話が伝わっていることもあります。

いずれも由来は定かではありませんが、不気味なものから理不尽なもの、どこか滑稽さを感じさせるものまで、長い年月を経て今も語り継がれているのは、地域の記憶として人々の心に残り続けているからかもしれません。

事の真偽や実態はともかく、こうした伝承は、たとえ街の姿が変わっても、大切に残していきたい風景のひとつです。

ちなみに、墨田区の「大横川親水公園」には本所七不思議を題材とした壁画パネルが設置されています。

機会があれば、現地を訪ねてみるのも一興かもしれません。

参考:
本所深川ふしぎ草紙』宮部みゆき 著
『墨田区HP 本所七不思議について知りたい
文 / 桃配伝子 校正 / 草の実堂編集部

桃配伝子

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アパレルのデザイナー・デザイン事務所を経てフリーランスとして独立。旅行・歴史・神社仏閣・民間伝承&風俗・ファッション・料理・アウトドアなどの記事を書いているライターです。
神社・仏像・祭り・歴史的建造物・四季の花・鉄道・地図・旅などのイラストも描く、イラストレーターでもあります。

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